街を散策しながら、香港の歴史的建築物や古跡をたずねてみよう。今回は、多くの観光客が訪れる、香港で3番目に人口の多い地区、九龍半島の西にある油尖旺区を巡ります。
こんにちは、香港ナビです。香港の歴史街道めぐり、今回は観光地としてショッピングやグルメなどで、みなさんが一度は訪れたことのある地区、油尖旺区をご紹介します。油尖旺区とは、尖沙咀、油麻地、旺角の3つのエリアを総称した呼び方です。今となっては近代化したこの3つのエリアも、よく見てみると、古くから残る建物や古跡が残っているのです。みなさんがよくご存じの有名な建物のある場所で、香港の歴史上、記録に残るような出来事が起きていたなんてこともあるかもしれません。ショッピングやグルメ旅の合間に、簡単に見て回れるよう、主な歴史的建造物や古跡をご紹介します。
観光地で有名な尖沙咀
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尖沙咀の目抜き通り、彌敦道(ネイザンロード)
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歩き方のポイント
とにかく人が多い油尖旺区。周囲の建物などにあまり気を取られ過ぎると、人にぶつかったり、スリなどにあってしまうことがあります。バッグなどの手荷物は肌身から離さずしっかり持ちましょう。また、立ち止まって建物を見たり、写真を撮りたい時は、通行人の邪魔にならないよう、道の端に寄るようにしましょう。せっかくなので、休憩や食事の時には、香港人が集まるローカルのレストランや喫茶店に入ってみるのもおすすめです。観光客も多いエリアですので、気軽に立ち寄ることができ、店員さんも親切に対応してくれます。
彌敦道沿いにも歴史的建築があります
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人混みでは手荷物に気をつけましょう
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★スタート地点
スタート地点は尖沙咀のスターフェリー乗り場です。MTR尖沙咀駅から歩いてフェリー乗り場に行ってもよいでしょう。
★所要時間
このコースは距離が長いため、途中、休憩しながら歩くことをおすすめします。スタート地点の尖沙咀鐘樓から九龍公園まで周り、その後休憩、バスやMTRなどで油麻地まで移動し、その後、ゴールの雷生春までもMTRなどで移動するとよいでしょう。ゆっくり移動して3時間弱のコースです。
尖沙咀プロムナードのランドマーク的存在
1 尖沙咀鐘樓(香港クロックタワー)
スタート地点の尖沙咀スターフェリー乗り場を出てすぐ目の前にある、レンガ色の時計台が「尖沙咀鐘樓」です。1990年7月30日、香港法定古蹟として認定されました。高さは44メートルあり、7メートルの避雷針が取り付けられています。1916年3月28日に香港の九龍と中国本土の広州を結んでいた九広鉄路(Kowloon Canton Railway, KCR)の尖沙咀駅に作られた鐘楼です。1921年3月22日より始動し、第二次世界大戦中の日本占領時期を除き、時を刻み続けました。1975年に旧尖沙咀駅は紅磡駅に移され、駅舎は壊されましたが、古跡保護団体などの抗議により、時計塔は残されることになりました。
今回のコースのスタート地点、尖沙咀鐘樓
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プレートには鐘樓の歴史の説明があります
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2 1881 Heritage(前水警總部)
時計台を後にして、梳士巴利道(Salisbury Road)を渡るとすぐ右手に見えるのが、2009年にオープンした九龍の観光の中心地、尖沙咀の入り口にできた1881Heritage。敷地内には香港を代表するブランドショップや世界の有名アクセサリー店、ブランドショップがあり、連日世界各地からの観光客で賑わっています。すっかり新しく生まれ変わったこの敷地内にある建物は歴史的保存建築物として認定されています。中央にあるメインの建物は1884年から1996年まで100年以上もの間、『香港警隊水警総部(日本でいう、水上警察署)』として使用され、1994年に香港の建築物文化遺産に認定されました。その他、馬舎として使用していた別棟はレストランとして使われ、旧九龍消防局とその宿舎はブティックやショップとして使われています。
3 ペニンシュラホテル
香港のペニンシュラホテルを知らない人はいないほど有名なホテルです。1900年代、香港の発展のため、海と陸の玄関口としてこの場所が選ばれ、ホテルの建設が始められました。しかしながら、第一次世界大戦後の厳しい時代でもあったため、建設工事は順調には進まず、予定より4年遅れた1928年に開業しました。その後1941年には太平洋戦争が勃発し、日本軍が香港に進駐している間、ホテルの名前は「東亜ホテル」と改名され、日本軍の軍関係者向けのホテルとして使われていました。日本の敗戦後からは一般客人向けのホテルに戻り、今に至ります。日本人観光客の多く宿泊するホテルとしても有名ですが、香港と日本の歴史を考える上でもペニンシュラホテルは重要な歴史的建築物と言えるでしょう。
4 前九龍英童學校
英童学校は、香港に居住する主に英国人児童向けに創設された学校です。1894年創設当時は九龍書院と名づけられ、その後、九龍英童学校と改名されました。1900年に当時の香港総督Sir Robert Hotungによる15000香港ドルの寄付金により、落成されました。赤レンガが使われたビクトリア朝の建築ですが、香港の気候に合わせ、建物の周りに広めのベランダを作ったり、天井を高くするなどの工夫がされています。
5 九龍玫瑰堂
イギリス軍が九龍半島に駐留していた1900年代、香港にはおよそ200名ほどのカトリック教徒がおり、その数は年々増えていきました。彼らのために1903年、約20,000香港ドルの寄付金が集められ、教会が建てられることになりました。その後、1980年代になると建物は次第に老朽化が目立つようになりましたが、なかなか修理に至らず、2003年にやっと建物や建物内の修繕が行われました。現在は香港一級歴史建築物に指定されています。
6 前威菲路軍營S61及S62座 現香港文物探知館
1910年から1967年まで、英軍の兵舎として使われていた建物です。英軍が撤退した後、建物は香港政府に返還されました。1983年から1998年までは一時的に香港歴史博物館として使われ、2005年以降は一般向けに、主に香港の歴史建築物や古跡などを主体とした展覧会やレクチャールームなどの施設「香港文物探知館」として使われるようになりました。
7 前威菲路軍營第S4座 衛生教育展覽及資料中心
こちらも英国軍の兵舎として使われていた建物です。1997年5月から衛生教育展覽及資料中心として一般に開放されるようになりました。食物環境衛生署についての紹介や食物の安全性について、模型などを使って楽しく学べる施設になっています。
8 油麻地天后古廟
油麻地天后古廟は香港の九龍半島で最大規模の天后廟です。元々、漁業に携わる人々が多く住む地域であったため、天后廟がこの地域に作られました。この油麻地天后古廟を中心に香港に移住する中国人のコミュニテイができたと言われています。1865年に創建され、1971年に立て直されました。長屋のように細い建物で、中央に天后古廟があり、南側に観音楼社壇、北側に観音古廟と城隍廟があります。
油麻地天后古廟
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歴史を感じさせる建物
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城隍廟
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観音楼社壇
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9 雷生春
1931年に建設され、2003年に歴史的建造物に指定された建物です。20世紀初めに流行した中国と西洋の両方の建築方式を用いて建てられた唐楼です。広東省出身の雷亮が購入した土地にこの建物を建てたそうです。1931年に建物が完成すると、1階部分では跌打と呼ばれる中国の整体医院を営み、2階部分は雷亮の住まいとして使われました。1944年に整体医院を閉め、2000年には歴史的建造物として指定されました。
いかがでしたか?歴史建築物を巡る旅、油尖旺区(九龍半島西)編。何度も目にしていたはずの建物が実は歴史建築物だったなんてこともあるはず。改めて香港の歴史に目を向けて香港の街を散策してみてください。以上、香港ナビがお伝えいたしました。
上記の記事は取材時点の情報を元に作成しています。スポット(お店)の都合や現地事情により、現在とは記事の内容が異なる可能性がありますので、ご了承ください。
記事登録日:2012-09-13