下町情緒あふれる灣仔で、香港の歴史を感じてみる。
こんにちは、香港ナビです。今日は、灣仔にある歴史的あスポットを散歩してみたいと思います。灣仔の名の由来は、小さな湾という意味。1920年代から埋め立てが進められ現在まで発展が続いています。灣仔のウォーターフロントには、灣仔政府大樓(ガバメントオフィス)・入境事務大樓(イミグレーションオフィス)などの行政機関、香港會議展覧中心(コンベンションセンター)・中環廣場(セントラルプラザ)をはじめとする商業地、文化活動を後押しする香港藝術中心などがあり、香港の行政・経済・文化を代表する地区となっています。
その一方で、トラムが走る荘士敦道(ジョンストンロード)界隈は、香港開港初期から発展してきた地域で、古い建物、廟が立ち並び香港庶民の生活を垣間見ることができます。ただ、この庶民的な建物が立ち並ぶストリートにも再開発の波が押し寄せてきており、歴史あるストリートも潰され大型商業ビル建設がもうすぐはじまることになっています。古きよき時代の香港の歴史を楽しむラストチャンス。地図を片手に散策してみませんか。
★ 利東街(LEE TUNG STREET)
紙屋・印刷所が多く、中国らしいポストカードやレターセット、袋物、カレンダーを売る店が建ち並んでいました。この通りが、今回の再開発で取り壊されることになっているのです。地元香港人も無くなる前の記念で写真を撮っている姿をよくみかけます。このストリートにあった雲呑麺屋「五龍」がなくなったのは寂しいかぎりです。
行き方:MTR灣仔駅A3出口を出て、荘士敦道(ジョンストンロード)を渡る。金鐘(アドミラリティー)方向へ歩いて3本目のストリート。駅から徒歩2分ほど。
★ 春園街(SPRING GARDEN LANE)
春園街は、皇后東大道(QUEENS ROAD EAST)と荘士敦道(JOHNSTON ROAD)を結び、太原街(TAI YUEN STREET)と利東街(LEE TUNG STREET)に挟まれているストリート。湾仔は、イギリスによる開港後、初期の段階から発展を続けてきた地域で、特にこのストリート一帯が重点的に開発されてきました。
さて、この「春園街」 一般の感覚からいうと、「春」との関連性を感じると思うのですが、実はまったく関係ないのです。 この「春園街」の地名は、もともと「SPRING GARDEN」の名から来ているんです。「SPRING GARDEN」→「春園街」の訳、何の問題がないように一見思えるんですけど、実は違うんです。「SPRING」には、もちろん「春」の意味があるのですが、その他にも「泉」や「噴水池」などの意味があります。ここは、開港初期に建てられた邸宅の庭に噴水があったので、「SPRING GARDEN」と名づけられていたのですが、それを訳した中国人が、「春園」としてしまったとのことです。本来であれば、「泉花園」や「泉園街」、「噴水花園」などが妥当な訳ですね。
開港後、第3代香港総督のサー・サミュエル・ジョージ・ボナム (Sir Samuel George Bonham、文咸/般咸 1848年~ 1854年)が、この春園街に邸宅を構え、さらにイギリスの商人をはじめ各国の貿易に携わる商人がこの一帯に住宅を 建て、商店や倉庫が建ち並ぶことになったのでした。そのため、この地域は、外国商人の高級住宅地、そして商業区として発展を続けていったのです。
現在も、灣仔のメインストリートである皇后東大道(QUEENS ROAD EAST)と荘士敦道(JOHNSTON ROAD)を結びつけ、車が混み合い、人が行き交う主要な道になっています。エッグタルトで有名な金鳳茶餐廳をはじめとする庶民的なレストランが立ち並び、古くからの理髪店なども未だに営業を続けていて、古きよき湾仔らしさを感じることができるストリートです。
行き方:MTR灣仔駅A3出口を出て、荘士敦道(JOHNSTON ROAD)を渡って、金鐘(アドミラリティー)方向へ歩いて2本目のストリート。駅から徒歩2分ほど。
★ 舊灣仔郵政局(OLD WANCHAI POST OFFICE)
1912年から1913年にかけて建築された建物です。当初は、警察署として使用されたのですが、1915年3月1日から1992年までの77年間、郵政局(郵便局)として利用されていました。1993年12月2日からは、灣仔環境資源中心(環境資源センター)として香港の環境教育の中心地となっています。現在ここでは、環境関連の政府発行資料を配布、資源リサイクルの取り組み、環境問題関連の書籍・雑誌・新聞の紹介、パソコンによる情報収集など、多岐にわたって地元香港人への環境教育を積極的に行っています。
この環境資源中心は、郵政局の建物をそのまま保存利用しているのが特徴です。外観は、特徴あるL字型平屋。内部は、当時を偲ばせる赤い私書箱やカウンター、さらには当時の切手券売機などの展示もあり、植民地時代のレトロな雰囲気を充分に味わうことができるとあって、ぜひ訪れてほしい場所の一つです。 1992年4月 政府により法定古蹟(重要文化財)に指定されています。
入場料:無料
住所:香港灣仔皇后大道東 221 號 (221 QUEENS ROAD EAST)
行き方:MTR灣仔駅A3出口より 荘士敦道を渡り右へ。1本目の太原街(TAI YUEN STREET)を皇后大道東(QUEENS ROAD EAST)まで歩く。すると目の前に建物が現れます。徒歩約5分。
開放時間:
月・火・木・金・土曜日 10時~17時
水曜日 10時~13時
日曜日 13時~17時
祝祭日 休館
★ 洪聖廟(Hung Shing Temple)
洪聖は本名を洪熙といい、唐代にこの地を治めた官吏でした。住民を慈しみ天文地理に詳しく、この地に天文気象観測所を建設して地元の人々に多くの利益を与えたので、死後に「広利洪聖大王」の名前が与えられました。特に漁業を生業とする人々の信仰を集めていました。灣仔は海の仕事に従事していた人たちが多かったため、ここに洪聖廟が建てられたのでしょう。もともと、浜辺の岩の上にあった小さな神棚だったそうです。その後、1847年に建物として建てられ、1860年と1867年の改築によって現在の姿となりました。
行き方:皇后大道東(クイーンズロード)のランドマーク、合和中心(ホープウエルセンター)から金鐘(アドミラルティ)方向へ約100m歩いたところにあります。
★ 日街・月街・星街・光明街・電氣街
湾仔には、 日街(SUN STREET)・月街(MOON STREET)・星街(STAR STREET)・光明街(KWONG MING STREET)・電氣街(ELECTRIC STREET)と名前が付けられた一画があります。ここの地名は、香港を代表する電力会社「香港電燈有限公司」が、現在の電氣街の場所に発電所を建設し、電氣を供給しはじめた(1890年12月1日午後6時~)ことに由来しています。電氣街は、発電所の所在地。日街・月街・星街、そして光明街は、中国・南宋時代の名著『三字經』に「三光者,日月星(三光とは天上に輝き,宇宙万物の不滅不変をあらわす、日,月,星である)」とあり、光の源である発電所にちなみ、この一帯のストリートにはこの名が付けられたのです。後年、発電所は、北角(NORTH POINT)そしてラマ島へ移り、ここにあった発電所は閉鎖、取り壊されました。跡地は、住宅地へと変わり、現在では発電所があった痕跡を示すものは、地名以外、何も残っていません。この地域はMTRの湾仔と金鐘の中間地点にあたり、再開発の波に乗り遅れていたのですが、星域軒(STAR CREST)という高級マンションが建ち、さらにパシフィックプレイス3が完成し、人が流れてくるようになりました。隠れ家的なフレンチレストランやオープンカフェ、中国茶などをあつかうモダンなセレクトショップが続々とオープンし、にわかに注目されるスポットとなっています。歴史散策を楽しみながら「香港の山の手」で優雅な時間を過ごしてみてはいかがでしょう?
行き方:MTR灣仔駅A3出口を出て荘士敦道を渡る。渡ったあと、合和中心(ホープウエルセンター)を目指して、皇后大道東(クイーンズロード・イースト)へ。皇后大道東に出たら、金鐘(アドミラルティ)駅方向に歩いていく。合和中心から約200mの左側に聖佛蘭士街(ST.FRANCIS STREET)の坂道が現れる。その坂を上った一帯がこの地名となる。駅から約500m。徒歩10分ほど。
★ 李節街 (LI CHIT STREET)の洋館
灣仔の再開発に伴い取り壊された建物。戦前(第二次世界大戦前)の灣仔にあった独特の建築物であったため保存されることとなりました。ただ建物の内部は、かなり老朽していたため、それは移築されることはなく、マカオの聖ポール寺院のファザードのような感じで、正面入口の壁だけの保存となっています。この壁のバルコニー部分には、鳥籠や掛時計、そして商売に使われたそろばんなどがきれいに飾られていて、往時をしのぶことができます。
荘士敦道から李節街に入るところは、灣仔のどこにでもあるような感じなのですが、建物の近くに行くと空気の違いを感じます。雑然とした灣仔の中にあって、小鳥の囀りが聞こえ、近所のおじいさんおばあさんなどが太極拳をし、そして中国将棋に興じている姿などを見ると、1920年代の灣仔にタイムスリップした感じさえします。灣仔界隈に住む方々の休息所になっており、灣仔の歴史散策に疲れたときには、ここで休憩をとるのもいいでしょう。 最後に、建物の移築が完成し、記念式典が行われたのは、1994年11月22日。このとき、香港最後の総督パッテン氏が臨席し、この建物の重要性が香港市民の中でも話題となったのでした。そんな灣仔の隠れた名所をぜひ訪れてほしいです。
行き方:MTR灣仔駅A3出口を出て荘士敦道を渡る。渡ったあと、荘士敦道(トラム通り)に沿って金鐘方向(右)へ。狭い路地が櫛状に左側にあります。その11本目の路地。機利臣街(GRESSON STREET)の次。 駅から約400m。徒歩8分ほど。
★ 大佛口の防空壕
皇后大道東(QUEENS ROAD EAST)と軒尼詩道(HENNESSY ROAD)が交わるところにあります。正確に言うと、皇后大道東起点の南面に3つ並んでいます。現在は、レンガやセメント、そして鉄扉などによって塞がれ、内部を伺い知ることは全くできません。そのため、これが「防空壕」であることを知っている人は、日本人はもとより、香港人も含め数少ないです。
防空壕は、第二次世界大戦のときに、日本軍の侵略に備えてイギリス香港政庁によって香港各地に建造されました。日本の統治期間中は、連合軍の空襲から日本人や香港人などの避難場所となっていました。戦後は再開発の波によりほとんどが取り壊されてしまったのですが、いくつかはまだ現存していて、その中でも簡単に見つけることができるのが、この「大佛口」のものなのです。
さて、「大佛口」という地名なのですが、これは地図帳には出てこない俗名です。戦前、この場所には、日本人経営の「大佛洋行」という貿易商があり、その店頭には、三体の大きな仏像が置かれていたのでした。かなり目立つ存在だったので、このあたり一帯を地元の人たちは、大佛への入口(出口)から「大佛口」と呼ぶようになり、今でもこの俗称は残っています。残念ながら、この「大佛」の名の由来に関するものは、現在何も残っていません。「大佛洋行」だった場所は、先施保険大廈となっています。
行き方:MTR灣仔駅B1出口を出て軒尼詩道を金鐘(アドミラリティー)方向へ。500mほど歩くと、コーヒーチェーン店のパシフィックコーヒーがある。そのすぐ先で、皇后大道東(QUEENS ROAD EAST)と交わる。徒歩約10分。
いかがでしたでしょうか?植民地時代からの長い歴史を感じさせる場所が今なお残る灣仔。再開発が始まる前に、ぜひ見ておきたい場所がたくさんあります。この街を散歩すれば、香港の歴史をさまざまな面から楽しむことができるでしょう。以上、香港ナビがお送りしました。
※この記事は、香港の日本語フリーペーパー、「ぽけっとページWEEKLY」に掲載されたものを加筆・修正の上Web化したものです。
上記の記事は取材時点の情報を元に作成しています。スポット(お店)の都合や現地事情により、現在とは記事の内容が異なる可能性がありますので、ご了承ください。
記事登録日:2006-03-06