イギリスの植民地時代から現代まで、日本との関係も含め、歴史とともに香港の刑務所について知ることができる博物館です。
こんにちは、香港ナビです。香港では言わずと知れた観光地
スタンレー。マーケットでのショッピング、海を眺めながらBARでお酒を飲んだり、お食事をしたり。観光客にも地元の人にとっても人気のある憩いの場所。そのおしゃれな観光地として知られているスタンレーに、なんと監獄があるのをご存知でしたか?今日はその監獄に潜入取材してきました!と言いたいところですが、残念ながら関係者以外は足を踏み入れることができませんので、今日は監獄のすぐ隣にある香港懲教博物館をご紹介します。スタンレーにある監獄、更生施設などについて紹介されている博物館です。
監獄の隣にあることと、懲教という漢字からこの博物館がどんな所なのかはなんとなく想像できますよね。懲らしめ、教える。なんとも緊張感のある言葉です。怖いもの見たさで楽しみな気持ちと、痛々しいものを目にするのではないかという不安な気持ちで行ってきました。香港の懲教制度(日本語で言う行刑制度)は160年以上もの歴史があり、香港の歴史を語る際には忘れてはならない重要な制度です。
館内に入るとすぐに目に入ってきたのがこれ。2008年にこの施設が全面關懷大獎を受賞した時の様子を写した写真とその説明。これは犯罪者を更生させるためだけではなく、施設で勤務するスタッフやその家族、またこの施設に直接関係のない一般市民のためにも貢献した組織であることを表彰されたものです。なんだかとても前向きで社会一体型更生施設という印象を受けました。
各ギャラリーの紹介です
さて、この博物館は9つのギャラリーに分かれています。歴史ごとの監獄の紹介から、監獄で職員として働くスタッフの紹介、それから更生施設の紹介などテーマごとにわかれています。
まず初めに刑罰及び監禁についての展示をご紹介します。監獄に収容された囚人たちがどのような刑罰を受け、どのように監禁されていたのかが写真とともに紹介されています。犯した犯罪の内容が書かれた板を首から下げ、道端に座らされたり、大勢の人の前で見せしめにされた後そのまま死刑にされることもあったようです。実際に死刑が執行された後の様子を写した写真が展示されていましたが、とても直視することができないくらい生々しい写真でした。
体罰を受けるために作られた形具や鞭もありました。1981年に、香港では体罰が禁止されたので今ではもうこの形具や鞭が使われることはないそうです。それにしてもこの刑、なんとも恥ずかしい格好ですよね。恥ずかしいし、痛いし、悪いことはしたくないですね。このギャラリーはとにかく痛々しい写真と形具とで目を覆いたくなるような内容ばかりでした。
1970年代に使われていた手錠
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現在使われている手錠
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次は年代順に監獄の歴史とその発展について紹介されているギャラリーです。香港で最も古い監獄はセントラルにあるビクトリア監獄だそうです。ただし、この監獄は2005年12月に閉鎖されており現在は使用されていないとのこと。そのため現在も香港で使用されている監獄の中では、スタンレー監獄が最も古い監獄となっているそうです。スタンレーに監獄ができた由来は、英国が香港の植民地化を始めた頃、スタンレー地区は英国人の主要居住区であり、この地域を軍事拠点の一つとしていたことにあるようです。その名残でしょうか、今でもスタンレーは多くの西洋人に好まれ、スタンレー在住の西洋人や観光客の姿をよく目にします。
このギャラリーで特に興味深かったのは、第二次世界大戦中、日本が香港を占領していたときのことが大きく紹介されていたことです。今や香港と言えば観光で訪れる国、または香港映画が連想されることが多く、戦争中の日本との関係について普段語られることは少ないのではないでしょうか。歴史博物館ではないこの懲教博物館でさえも日本による香港占領を紹介しているくらい、香港にとっては大きな影響を受けた歴史的事実なのです。
この日本軍による爆撃などによって、香港で最も古い監獄、ビクトリア監獄は大きな被害を受け、ほぼ使用不可能な状況となったようです。そのため、当時ビクトリア監獄に収容されていた囚人のほとんどがスタンレーの監獄に移されたそうです。
日本軍が香港占領時に使用していた強制収容施設
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日本が発行した軍票
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もう一つ、日本軍による香港占領で大きな影響を残したものです。この日本国軍票は、香港占領時に日本が発行したもので、香港の住民は日本軍によってこの軍票への両替を強いられたのです。しかし戦後、この軍票が通貨価値を持たなくなったため、多くの香港人が日本に損害補填を求める訴訟を起こしました。結果は、戦争当時の国際法で戦争被害に対する個人の損害を補償しないという原則と日本の国内法に軍票を交換する法律がないことを理由にこの訴訟は棄却されたそうです。
越南船民
香港の歴史の中でもまだ記憶に新しいベトナム難民についての展示もありました。ベトナム難民については、この博物館の中でも特に大きく紹介されていて深く印象に残っています。香港にとって、ベトナム難民とはどのような人たちなのでしょうか。
1975年にベトナムが社会主義体制に移行し、人々は経済的活動を制限されたため、その政治体制に不安を抱き始め、その体制から逃れるために香港への移住を始めたのです。そして、1980年にイギリスが難民保護のために香港を第一収容港としてから更に香港へ渡るベトナム難民は増え続け、結果20年あまりもの間、香港政府はこのベトナム難民たちへの対応に追われ、深刻な社会問題となっていったのです。
そもそもベトナムからの難民は、ベトナムの政治体制に不安を抱いたいわゆる政治難民だったわけですが、香港が難民を積極的に受け入れている事実がベトナム中で広く知られる様になったため、出稼ぎに出るような形で経済難民として香港へ渡ってくる難民も増えていったようです。そして政治難民だけでなく、あまりに多くの難民が香港に入港するようになったため、香港は政治難民以外の難民を制限せざるを得ない状況になり、難民として認定されない人たちは身柄を拘束されたり、ベトナムへ強制送還されるようになったわけです。その制限に対して難民は抵抗し暴動を起こすなどして、それが大きな社会問題となっていったようです。
強制送還に対し抵抗している難民たちの様子
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難民収容施設の様子
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上の写真は難民キャンプに拘束されていた難民たちが限られた環境の中で工夫して作られた品々です。監獄という限られた環境にも拘らず、ここまで工夫を凝らし、あまりに精巧にできていたので驚きました。結果としては不法入国という理由から、刑務所に拘束されたわけですが、純粋に、より平和に生きることのできる場所を求めて香港に渡ろうとしてきた人たちもいたわけで、それでも残念ながらその夢が叶わず大変な苦労をした彼らのことを思うととても複雑な気持ちになりました。生きるために命を掛けて海を渡り、この後の行方もわからない状態で拘束され、それでも夢を捨てずに闘おうとしていた彼らを知り、考えさせられるものがありました。
写真は現在使用されている独房です。監獄の部屋にしてはゆったりとしていますね。監獄であっても常に衛生面には注意が払われていて、清潔に保たれているようです。でもここには住みたくはないですね。
更生施設
さて、これまでご紹介したギャラリーでは歴史的な事実や、監獄内の紹介が主だったこともあり、気分が落ち込むような内容が多かったですね。でもこれから紹介する更生施設についてはとても前向きな内容で、この博物館の中でも特に力を入れている部分ではないかと思うくらい興味をそそられる内容でした。
Rehabilitation更生
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博物館の裏側はこんなに素敵な眺めです
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この施設の囚人の生活の様子や教育については、ビデオでの紹介が主なものでした。その内容はびっくりするくらい充実していて、この施設がいかに囚人たちを社会復帰させるかということを中心に考えられ、いかに教育に力を入れているかがわかります。この施設でしっかり教育を受ければ立派な人間に生まれ変わって社会復帰ができそうです。施設での囚人たちの生活は、規則正しい生活を強いられるようですが、教育プログラムの一環として、毎日運動の時間も組み込まれ、健康的な環境を保っているそうです。
いかがでしたか?観光客の方々には意外と知られていないこの博物館。スタンレーマーケットから徒歩でおよそ15分ほどでたどり着ける場所にあるものの、懲教博物館までは訪れたことがないという方が多いのではないでしょうか。この博物館に行けば香港の歴史がわかり、もっと深く香港を知ることができると思います。なんとなく閉鎖的なイメージのある監獄も、社会への貢献ということを重視し、過ちを犯した人たちに再度チャンスを与えようとする積極的な香港の姿勢が伺えます。もっと香港について知りたいと思うみなさん、ぜひ一度この博物館を訪れてみてください。以上、香港ナビがお伝えしました。